食料安全保障の弱点は「輸入量」だけではない――農地・担い手・肥料から考える日本の供給力
日本の食料安全保障が政治課題になった最大の理由は、海外から食料を買えるかどうかに加え、国内で作り続ける農地、人、肥料などの基盤が細っているためです。輸入先を増やすだけでも、自給率を掲げるだけでも、この問題は解けません。
必要なのは、平時の生産力を維持しながら、輸入、備蓄、国内生産を品目ごとに組み合わせることです。家計が買える価格を守る視点も欠かせません。
この記事で分かること
- 最新のカロリーベース食料自給率は38%で、2030年度目標は45%
- 輸入依存のリスクは、食料だけでなく肥料や飼料にも及ぶ
- 2025年農林業センサスでは、基幹的農業従事者が5年間で25.1%減少
- 食料供給困難事態対策法は危機への対応手順を整えたが、生産基盤そのものを代替できない
なぜ今、食料安全保障が政治課題なのか
食料の安定供給を、市場任せでは守り切れなくなったからです。 国際価格、為替、物流、紛争、異常気象の影響が、食品価格と農業経営の双方に届くようになりました。
日本は長年、国内生産と輸入を組み合わせ、多様な食生活を実現してきました。輸入そのものが問題なのではありません。海外から安定して調達できる環境は、資源の限られた日本にとって重要な国益です。
問題は、複数の条件が同時に悪化する場合です。
- 輸出国の不作や輸出規制で、必要量を確保しにくくなる
- 円安や国際価格の上昇により、買えても価格が高くなる
- 海上輸送の混乱で、到着時期を見通せなくなる
- 肥料や飼料が値上がりし、国内の農畜産物まで高くなる
- 農地や担い手が減り、輸入減少時に国内生産を増やせない
つまり、食料安全保障は「外国産か国産か」という単純な選択ではありません。必要な食料を、国民が継続的に入手できる価格と量で届けられるかが政策の中心です。
自給率38%が示すもの、示さないもの
38%という数字は重要ですが、それだけで危機の深さを判定することはできません。 自給率には複数の測り方があり、品目による差も大きいからです。
農林水産省が公表した令和6年度の食料自給率は、カロリーベースで38%、生産額ベースで64%でした。新たに公表された摂取熱量ベースは46%です。
それぞれが見ているものは異なります。
- カロリーベース38%:国内で供給される熱量のうち、国産で賄う割合
- 生産額ベース64%:国内で消費される食料の金額のうち、国内生産が占める割合
- 摂取熱量ベース46%:平時に必要とされる1人1日1,850キロカロリーに対し、国産供給熱量860キロカロリーが占める割合
生産額ベースが上昇しても、国内の供給量が同じだけ増えたとは限りません。令和6年度に生産額ベースが前年度から3ポイント上がった背景には、米、野菜、畜産物の国内価格上昇があります。価格が上がれば生産額は増えるため、供給力とは分けて読む必要があります。
一方、カロリーベースだけでは、野菜や果物など比較的低カロリーの農産物が果たす役割を十分に表せません。したがって政策評価では、総合自給率に加えて次の点を見るべきです。
- 小麦、大豆、飼料など輸入依存度の高い品目の生産量
- 農地、農業労働力、種苗、肥料、農薬、燃料の確保状況
- 備蓄量と、緊急時に流通を維持する能力
- 所得の低い世帯や買物困難者が食料を入手できるか
ここがポイント: 食料安全保障の核心は、自給率の数字を上げること自体ではなく、輸入が揺らいだときにも国内生産と備蓄で不足を緩和できる状態をつくることです。
輸入依存には「見えにくい二重構造」がある
国産表示の食品でも、生産資材まで国内で賄っているとは限りません。 ここに、日本の食料供給の見えにくい弱点があります。
食料そのものの輸入依存
小麦や大豆、油脂原料などは、国内需要の相当部分を海外に頼っています。畜産も、肉や牛乳、卵が国内で生産されていても、家畜が食べる飼料穀物の多くは輸入品です。
この構造では、海外の穀物価格や輸送費が上がると、パンや麺だけでなく、食用油、肉、乳製品、卵のコストにも波及します。家計から見れば、輸入品の値上がりと国産品の生産費上昇が同時に起こり得ます。
肥料原料など生産資材の輸入依存
農林水産省は、肥料原料の大部分を輸入に依存していると説明しています。2021年以降の国際市況上昇とロシアによるウクライナ侵略などが重なり、2022年には尿素、りん酸アンモニウム、塩化加里の輸入通関価格が相次いで過去最高値を記録しました。
これは、国産農産物にも海外リスクが組み込まれていることを意味します。肥料が不足したり高騰したりすれば、農家は使用量、作付面積、品目を見直さざるを得ません。収量の減少や販売価格の上昇につながる可能性があります。
このため、政策は完成した食料の輸入先だけでなく、次の供給網まで対象にしなければなりません。
- 肥料原料の調達先分散と備蓄
- 下水汚泥資源、堆肥など国内資源の利用
- 国産飼料作物の生産拡大
- 種苗、農薬、動物用医薬品の確保
- 港湾、倉庫、冷蔵・冷凍物流の維持
ただし、国内資源への切り替えには品質管理、運搬費、加工設備、地域内の需給調整が必要です。「国産化」の掛け声だけでは進みません。
国内生産の弱点は、農地より先に「作る人」に表れている
緊急時に増産を求めても、担い手と機械がなければ作物は増えません。 国内生産力は、毎年の収穫量だけでなく、次の作付けを続けられる人と設備によって決まります。
2025年農林業センサスの概数値によると、個人経営体の基幹的農業従事者は102万1千人でした。5年前より34万2千人、率にして25.1%減っています。販売目的で水稲を作付けした経営体も53万3千経営体で、5年前から25.3%減少しました。
一方で、大規模化は進んでいます。
- 1経営体当たりの経営耕地面積は3.7ヘクタールで、5年前より19.4%増加
- 20ヘクタール以上の経営体が耕作する面積は、全体の51.0%
- 法人化している農業経営体は増加
これは、生産性向上に向けた前進です。ただし、経営体の集約がそのまま供給の強靱化になるとは限りません。
大規模化が必要な理由
農地をまとめれば、大型機械やデータを使いやすくなり、単位当たりの生産費を下げられる可能性があります。離農する人の農地を、意欲ある経営体へ引き継ぐことも必要です。
大規模化だけでは解けない問題
経営規模が大きくなるほど、少数の担い手が広い農地を管理します。その担い手が病気、災害、資金繰り悪化に直面した場合、地域全体への影響も大きくなります。
また、中山間地域では農地が小さく分散し、傾斜もあります。平地と同じ規模拡大策では採算が合わない場所が残ります。しかし、耕作放棄が進めば、水路や農道の維持、防災、集落機能にも影響します。
したがって、地域ごとに役割を分ける必要があります。
- 平地では農地集積、機械化、スマート農業で生産量を確保する
- 中山間地域では共同作業、直接支払い、作物転換で農地を維持する
- 新規就農者には技術研修だけでなく、農地、住宅、販路、初期投資を一体で支援する
- 高齢農家から法人や若手への承継を、離農直前ではなく早期に進める
新しい基本計画は何を変えようとしているのか
政府の新計画は、目標自給率だけでなく、生産資材と担い手にも数値目標を置いた点が重要です。
2025年4月に閣議決定された食料・農業・農村基本計画は、2030年度の目標として、供給熱量ベース45%、生産額ベース69%、摂取熱量ベース53%を掲げました。
さらに、供給力を支える条件として次を示しています。
- 49歳以下の担い手数を、2023年の4万8千人水準で維持
- 農地面積412万ヘクタールを確保
- 1経営体当たりの生産量を86トンへ引き上げ
- 15ヘクタール以上の米経営体で、生産コストを60キログラム当たり9,500円へ低減
- 小麦と大豆の生産コストを現状比で2割削減
- 肥料の国内資源利用、化学肥料原料の備蓄、飼料穀物の備蓄を進める
方向は妥当です。問題は、複数の目標を同時に達成できるかにあります。
担い手を維持するには所得が必要です。消費者価格を抑えながら農家の所得を増やすには、生産費の低減、流通の効率化、適正な価格形成、公的支援の役割分担が欠かせません。補助金だけで生産を維持すれば財政負担が増え、価格転嫁だけに頼れば家計負担が増します。
政策評価では、自給率の結果だけでなく、毎年のKPIが改善しているかを確認すべきです。
食料供給困難事態対策法で何ができるのか
この法律は危機時の指揮系統を整えるものであり、平時に失われた農地や人員を急に回復させる制度ではありません。
食料供給困難事態対策法は2024年の通常国会で成立し、2025年4月1日に施行されました。供給が大幅に減少する兆候の段階から政府対策本部を設け、事態の深刻度に応じて供給確保策を講じます。
対象となる「特定食料」には、米、小麦、大豆、植物油脂、砂糖、肉、乳製品、卵などが指定されています。「特定資材」には肥料、農薬、種苗、飼料、動物用医薬品が含まれます。
制度上は、おおむね次の順で対応します。
- 国内外の需給状況を調査する
- 一定規模以上の事業者へ供給確保を要請する
- 深刻な事態では、出荷・販売、輸入、生産に関する計画の作成と届け出を指示する
- 協力する事業者に必要な財政措置などを講じる
農林水産省は、増産そのものを強制する制度ではなく、罰則も増産しなかったことではなく計画を届け出ない場合に関係する、と説明しています。
この仕組みは、危機の初動を早める意味があります。しかし、作付けには季節があり、収穫まで時間がかかります。肥料、種、農機、労働力が不足していれば、計画を作っても短期間では供給量を増やせません。
法律の実効性は、平時にどこまで次を準備できるかで決まります。
- 品目別の不足を早期に検知できるデータ
- 国と自治体、輸入業者、卸売業者、生産者の連絡体制
- 備蓄の放出と輸送を速やかに行う手順
- 増産や作付け転換に伴う費用補償
- 小売段階での買い占めや偏在への対応
家計と地域にはどのような影響があるか
食料安全保障は、棚から商品が消える極端な危機だけの話ではありません。 平時の値上がりや、地域によって食品を買いにくくなる問題も含みます。
消費者と子育て世帯
国産化や備蓄には費用がかかります。短期的には、店頭価格や税負担として家計に返る可能性があります。特に食費が所得に占める割合の高い世帯ほど影響は大きくなります。
そのため、生産者支援と同時に、学校給食、生活困窮者支援、フードバンク、食品アクセス対策を組み合わせる必要があります。供給量があっても、価格や距離のために入手できなければ、生活者にとっての安全保障は成立しません。
農業者と食品事業者
適正な価格形成は農業経営の継続に必要です。ただし、コストを一律に転嫁すれば、需要が安い輸入品へ移ることもあります。
農業者には生産費を把握する経営管理、食品事業者には長期契約や調達先分散、政府には競争環境と取引の透明性を守る制度設計が求められます。
地方自治体
自治体は、農地や水路の維持、災害対応、買物困難者対策、学校給食など複数の現場を担います。国が目標を掲げても、地域に人員と財源がなければ実施できません。
特に人口減少地域では、農業政策と地域交通、福祉、防災を別々に扱わず、生活圏単位で組み直す必要があります。
「自給率を上げれば安心」への反論も必要だ
自給率の引き上げには意味がありますが、費用と品目特性を無視した全面的な国産化は現実的ではありません。
反対論や慎重論には、次の根拠があります。
- 日本の農地や気候に向かない作物まで国内生産すれば、価格が大きく上がる
- 輸入を減らしすぎると、海外の豊作地域から調達する分散効果を失う
- 保護を固定化すると、生産性向上や品目転換が遅れるおそれがある
- 備蓄には保管費がかかり、品質劣化や入れ替えも必要になる
- 補助金を増やす場合、他の政策との財源配分が問題になる
これらは無視できません。だからこそ、自給率を一律に追うのではなく、品目別に戦略を変えるべきです。
現実的な組み合わせ
- 米:国内生産基盤を維持し、需要変化に合わせて輸出や加工用途も開拓する
- 小麦・大豆:国産に適した地域で単収と品質を高め、一定の国内供給力を持つ
- 飼料:国産飼料の拡大と輸入先分散、備蓄を組み合わせる
- 肥料:輸入先分散、原料備蓄、国内資源の循環利用を並行する
- 生鮮品:産地分散、施設の耐候性、物流維持で災害リスクを下げる
全面自給か全面輸入かではありません。国内生産を「保険」として維持しつつ、貿易による調達力も守る。その配分を具体化するのが政治の役割です。
今後、政策の実効性を測る5つの指標
次に見るべきなのは、理念ではなく生産現場の数字です。 2030年度の自給率だけを待っていては、手遅れになりかねません。
今後の確認点は次の5つです。
-
担い手の減少速度
49歳以下の担い手4万8千人を維持できるか。人数だけでなく、定着率と所得も必要です。 -
農地412万ヘクタールの確保
帳簿上の面積ではなく、実際に作付けできる状態で維持されているかを見ます。 -
小麦・大豆・飼料の生産性
作付面積だけでなく、単収、品質、生産費、需要先との契約を確認します。 -
肥料と飼料の調達耐性
備蓄日数、調達先の集中度、国内資源の利用量を継続的に公表できるかが重要です。 -
食品アクセス
食料価格、学校給食費、買物困難者、生活困窮世帯への支援が、供給政策と一体になっているかを見ます。
まとめ――守るべきは数字ではなく「次も作れる状態」
事実として、日本の令和6年度カロリーベース食料自給率は38%です。政府は2030年度に45%へ引き上げる目標を掲げました。同時に、農業の担い手は急速に減少し、肥料や飼料などの生産資材も海外情勢の影響を受けます。
ここから言えるのは、食料安全保障を輸入制限や増産要請だけで語れないということです。必要なのは、国内生産、輸入先分散、備蓄、物流、低所得者への支援を一つの政策として動かすことです。
最も厳しく問われるのは、2030年の目標値より、その年にも農地を耕し、次の作付けを決められる経営体が残っているかです。毎年確認すべき数字は、自給率だけではありません。担い手、農地、生産費、肥料備蓄、食品アクセスの進捗こそ、政策の実効性を映します。
