学び直しだけでは雇用不安は消えない リスキリング政策に必要な「仕事への接続」
リスキリング政策は、技術変化に備える選択肢を増やす。しかし、講座を受けやすくするだけでは雇用不安は減らない。学んだ技能が求人、社内配置、賃金に結び付き、受講中の生活も維持できて初めて、不安を具体的な行動へ変えられる。
政府の支援は受講費補助から生活費融資まで広がった。一方、2025年平均では転職等希望者が1,023万人いたのに対し、実際の転職者は330万人だった。この差が示すのは、働く人に足りないものが講座だけではないという現実だ。
この記事で分かること
- 日本のリスキリング政策が何を支援しているのか
- なぜ学び直しても転職や賃上げにつながらない場合があるのか
- 在職者、離職者、中小企業の従業員で障壁がどう異なるのか
- 雇用不安を減らすため、政策効果を何で測るべきか
政策の狙いは「受講者を増やすこと」ではない
政府が目指す本来の成果は、働く人が成長分野や必要性の高い仕事へ移り、継続的に賃金を上げられる労働市場である。
2023年5月に決定された「三位一体の労働市場改革の指針」は、次の三つを一体で進める方針を掲げた。
- リ・スキリングによる能力向上支援
- 個々の企業の実情に応じた職務給の導入
- 成長分野への労働移動の円滑化
この組み合わせには意味がある。新しい技能を身に付けても、企業が職務に必要な能力を示さず、採用や配置、処遇で評価しなければ、修了証だけが増えてしまうからだ。
政府は人への投資策に5年間で1兆円を投じる方針を示し、支援の重心を企業経由から個人への直接支援へ移す考えも打ち出した。2025年6月の「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2025年改訂版」でも、オンライン講座の拡充、申請やキャリアコンサルティングのオンライン化、獲得スキルをデジタル上で認証する仕組みが課題として挙げられている。
つまり政策は、講座の供給から、本人が技能を選び、証明し、仕事につなぐ段階へ進みつつある。ただし、その接続はまだ完成していない。
支援制度は費用と生活時間の壁に踏み込んだ
現在の制度は一枚岩ではなく、働き方や雇用保険への加入状況によって入口が分かれる。
雇用保険に加入している人の教育訓練給付
厚生労働省の教育訓練給付制度には、専門実践、特定一般、一般の3種類がある。
専門実践教育訓練では、受講費用の50%、年間上限40万円が基本となる。資格取得などを経て受講後1年以内に雇用された場合は70%、さらに訓練前より賃金が5%以上上がれば80%、年間上限64万円まで給付が拡大する。特定一般教育訓練も、条件を満たせば給付率が40%から50%へ上がる。
就職と賃金上昇を追加給付の条件にした点は重要だ。制度が「受講したか」だけでなく、仕事上の成果を意識し始めたことを意味する。
ただし、後払い部分があるため、手元資金の少ない人には立て替えが壁になる。仕事、育児、介護と両立する人には、受講料より学習時間の確保が難しい場合もある。
雇用保険の対象外にいる求職者への融資
2025年10月には、雇用保険の被保険者でも受給資格者でもない求職者を主な対象とする「リ・スキリング等教育訓練支援融資」が始まった。
主な内容は次の通りだ。
- 教育訓練費用は年間120万円まで
- 生活費は月10万円、年間120万円まで
- 原則として最大2年間分を融資
- 金利は信用保証料を含め年2%の固定
- 修了後に就職を1年以上継続し、賃金が5%以上上がれば残債務の30%、10%以上なら50%を一定上限まで免除
受講中の生活費を正面から扱ったことは前進である。一方、給付ではなく融資だ。転職の成否が読めない段階で借金を負うため、最も不安の大きい人ほど利用をためらう可能性がある。
ここがポイント: 支援額の大きさだけでは効果を測れない。受講後に「希望する仕事へ移れたか」「雇用が続いたか」「賃金が上がったか」まで追わなければ、雇用不安を減らしたかは判断できない。
1,023万人の転職希望と330万人の転職が示す壁
最大の問題は、学ぶ意欲と労働移動の間に大きな空間があることだ。
総務省の労働力調査によると、2025年平均の就業者6,820万人のうち、転職等希望者は1,023万人。前年より23万人増えた。一方、転職者は330万人で、前年より1万人減った。
両者は同じ人を一対一で対応させた数字ではない。それでも、仕事を変えたい、別の仕事も持ちたいという希望が、実際の移動を大きく上回る状況は明確である。
厚生労働省の2025年版労働経済白書は、転職活動をしても転職していない理由について、先行調査を基に「自分に合った仕事がわからない」が約14%、「仕事の探し方がわからない」が約5%だったと紹介している。
ここから見える障壁は、少なくとも四つある。
何を学べば採用されるのか分かりにくい
「デジタル人材」「成長分野」といった大きな言葉だけでは、生活者は講座を選べない。求人側が必要とする業務、技能水準、経験、想定賃金を具体的に示す必要がある。
例えば、表計算や生成AIの基礎を学ぶことと、業務工程を組み替えて生産性を上げることは同じではない。企業が後者を評価するなら、講座も実務課題、職場実習、成果物まで組み込まなければならない。
未経験者を受け入れる入口が狭い
求人票が経験年数を重視したままなら、学び直した人は「未経験者」として扱われる。資格を取っても、最初の実務経験を積む場所がなければ移動は起きない。
政策には、職業紹介だけでなく、試行雇用、在籍型出向、職場実習、社内公募など、学習と本採用の間を埋める仕組みが必要になる。
転職時の賃金低下を家計が負担できない
将来の賃金上昇が期待できても、転職直後に収入が下がれば、住宅費や教育費を抱える世帯は動けない。中高年ほど、これまでの経験が新しい職務でどう評価されるかも不透明になる。
失業給付や融資だけでなく、訓練中の所得、転職直後の賃金、社会保険の継続を含めた移行期の設計が要る。
地域によって仕事の選択肢が違う
オンライン講座は、地方に住む人の受講機会を広げる。しかし、修了後に地域内の求人がなければ、転居か遠隔勤務が必要になる。
学習機会の全国化と、雇用機会の地域差は別問題だ。自治体、地域の職業能力開発促進協議会、ハローワーク、地元企業が、どの職種で人手が足りないのかを共有しなければならない。
立場によって必要なリスキリングは異なる
一律の講座補助では、もともと学びやすい人へ支援が偏りやすい。
在職者には「学ぶ時間」と社内での評価が必要
正社員が夜間や休日に学べても、その技能を使う部署へ移れなければ成果は出ない。企業には、勤務時間内の訓練、上司とのキャリア面談、社内公募、職務と賃金の明示が求められる。
一方、会社が指定する技能だけを学ばせると、労働者が社外でも使える能力を選ぶ自由が弱くなる。企業の事業戦略と本人のキャリア選択を分けて考える視点が欠かせない。
非正規雇用者や離職者には先払いの支援が重要
収入が不安定な人にとって、受講料の立て替えや無収入期間は重い。融資が選択肢になるとしても、返済リスクが残る。
給付、訓練手当、保育・介護支援を組み合わせ、途中離脱を個人の努力不足だけで処理しない制度が必要だ。受講開始数ではなく、修了率や就職後の定着率を属性別に確認すべきである。
中小企業には業務改革とセットの支援が要る
中小企業では、従業員を研修へ送り出す間の代替要員を確保しにくい。学んだ人が転職する懸念もあり、経営者が投資をためらう事情がある。
厚生労働省は人材開発支援助成金や中小企業向けのリスキリング支援を用意しているが、研修費の補助だけでは十分ではない。設備やソフトウェアを導入し、仕事の流れを変え、身に付けた技能を使う職務と処遇を設けるところまで支援する必要がある。
国益の観点では「人手不足分野への誘導」だけにしない
リスキリングは、人口減少下で社会機能と産業競争力を維持する政策でもある。ただし、国が不足職種を示し、そこへ人を送り込むだけでは持続しない。
2025年版労働経済白書は、医療・福祉などでAIを含むソフトウェア投資による効率化が重要だとする一方、社会インフラに関わる職業では、技能や経験に応じた処遇改善も重視している。
これは重要な順序を示す。介護、建設、運輸などの人手不足に対し、既存の低い処遇を残したまま研修だけ増やしても、人は定着しない。必要なのは次の組み合わせだ。
- デジタル技術による業務負担の軽減
- 現場で使える訓練と資格の整備
- 技能上昇に対応した賃金の引き上げ
- 安全性、勤務時間、休暇など労働条件の改善
国家にとって重要なのは、講座産業を育てることではなく、医療、介護、物流、建設、製造などの基盤を少ない働き手で維持できるようにすることだ。その成果は、修了者数より生産性、定着率、処遇の変化に表れる。
批判的に見るべき三つの論点
政策を拡大するほど、支出と成果の関係を厳しく検証する必要がある。
1. 公費が講座の売上で終わっていないか
補助対象を増やすと、需要の乏しい講座や、内容が似た短期講座が増える恐れがある。受講者数だけでなく、修了、資格取得、就職、定着、賃金上昇を追跡し、成果の低い講座は指定を見直すべきだ。
ただし、賃金だけを唯一の指標にすると、介護や保育など公定価格の影響を受ける仕事が不利になる。職種別に、雇用継続、労働時間、生産性、欠員の改善も組み合わせる必要がある。
2. 個人にリスクを負わせすぎていないか
本人が学ぶ分野を選べる制度は大切だが、産業構造の変化による失職リスクまで個人責任にはできない。企業が自動化や事業転換を進める場合、配置転換や訓練の費用を企業も負担するのが筋である。
国、企業、本人の分担を明確にしなければ、「学ばなかった人が悪い」という政策メッセージになりかねない。
3. 学習歴が採用と賃金に反映されるか
デジタル認証は、技能を持ち運ぶ手段になり得る。しかし、民間資格や修了証が乱立すれば、採用側は価値を判断できない。
技能の定義、評価方法、実務経験との関係を業界ごとに整え、求人票の職務内容や賃金帯と結び付ける必要がある。ここが曖昧なままでは、証明書の電子化にとどまる。
別の見方――転職しなくても政策効果はある
リスキリングの成果を転職だけで測るべきではない。
同じ会社で新しい業務を担う、業務時間を短縮する、介護や育児をしながら遠隔で働ける職種へ移る、副業で収入源を増やす。こうした変化も雇用不安を下げる。
また、労働移動を急ぎすぎれば、地域の中小企業や社会インフラ分野から人が流出する可能性がある。成長企業への移動は経済全体の生産性向上に資する一方、必要な仕事を誰が担うかという問題を残す。
したがって、政策の目標は「転職率を上げること」ではない。本人が残るか移るかを選べ、どちらを選んでも技能が処遇へ反映される状態をつくることだ。
今後は四つの数字を確認したい
リスキリング政策が雇用不安を減らしたかは、予算額や受講者数では判断できない。政府が制度別、講座別、属性別に次の結果を公表できるかが焦点になる。
- 修了後6か月、1年、3年の就業継続率
- 受講前後の賃金と労働時間の変化
- 社内配置転換、転職、副業など移動経路の内訳
- 年齢、性別、雇用形態、地域、企業規模による利用格差
加えて、企業が求人票に必要技能と賃金帯を示しているか、中小企業で訓練時間を確保できているか、融資を受けた人の返済負担が重くなっていないかも見る必要がある。
まとめ 不安を減らすのは講座ではなく選べる労働市場
事実として、教育訓練給付は拡充され、雇用保険の対象外にいる求職者には生活費を含む融資制度も設けられた。学び直しの入口は以前より広がっている。
一方、転職等希望者1,023万人に対して転職者は330万人だった。希望と行動の差には、学習費だけでなく、情報、時間、所得、実務経験、地域の求人、採用慣行が関わる。
リスキリング政策が雇用不安を減らせるかどうかは、次の一点で決まる。学んだ人が、技能を使える仕事と納得できる処遇を実際に選べるか。次に確認すべきは新しい講座数ではなく、修了後の仕事、賃金、定着を追える公開データが整うかである。
