防災予算は「足りるか」より配分を見よ 南海トラフと避難所整備の現実
災害対策予算は、金額だけを見れば増えている。令和8年度には防災庁の設置を見据えた防災対策費として総額202億円が計上され、国土強靱化では2026年度から5年間でおおむね20兆円強の事業規模が示されている。
ただし、これで「十分」とは言い切れない。南海トラフ巨大地震、豪雨、避難所の長期運営を考えると、問題は総額よりも、どの地域に、どの順番で、誰の負担で備えを届かせるかに移っている。
要点は次の4つだ。
- 国は防災庁、防災力強化総合交付金、国土強靱化で事前防災を強めている
- 南海トラフ巨大地震の被害想定は、最大で死者約29.8万人という重い前提に立っている
- 避難所整備はトイレ、食事、ベッド、入浴、電源など生活維持の政策になった
- 財源と人手に余裕のない自治体ほど、国の交付金を使い切る設計力が問われる
何が動いているのか
政府の防災政策は、災害が起きてから支出する復旧型だけでなく、被害を小さくする事前防災へ比重を移している。
財務省の令和8年度予算説明では、防災庁の設置に向けた体制整備、地方自治体支援、防災力強化総合交付金35億円の新設などを含め、防災対策の推進に総額202億円を計上したとされている。これは、内閣府防災担当を発展的に改組し、政府の司令塔機能を強める流れの一部だ。
一方で、道路、河川、上下水道、港湾、通信、電力といった大きなインフラは国土交通省などの公共事業予算にまたがる。令和8年度の公共事業関係費は6兆1,078億円で、防災・減災、国土強靱化の推進が柱に置かれている。
つまり、防災予算は一つの財布ではない。
- 防災庁・内閣府系: 計画、司令塔、自治体支援、避難所運営
- 国土交通省系: 河川、道路、上下水道、官庁施設、広域交通
- 総務省・消防庁系: 消防、緊急消防援助隊、自治体体制
- 厚生労働省系: 医療、福祉、災害関連死対策
- 自治体: 避難所、備蓄、地域訓練、住民への情報伝達
この分散は悪いことばかりではない。災害対応は道路だけでも、避難所だけでも完結しないからだ。問題は、分散した予算を現場でつなげられるかにある。
南海トラフは「低頻度の特別災害」では済まない
内閣府は令和7年3月31日、南海トラフ巨大地震の新たな被害想定を公表した。最大クラスの地震では、死者数が最大で約29.8万人とされている。
この数字が重いのは、単に犠牲者数が大きいからではない。静岡、愛知、三重、和歌山、高知、宮崎など太平洋側の広い地域で、津波、建物倒壊、火災、ライフライン停止が同時に起きる前提だからだ。
予算で減らせる被害と、予算だけでは減らせない被害
住宅の耐震化、津波避難施設、道路や港湾の強化、通信の多重化には予算が必要だ。ここを削れば、発災直後の救助、物資輸送、病院機能に影響する。
ただし、早期避難、家具固定、感震ブレーカー、地域の避難訓練は、予算だけで完結しない。自治会、学校、企業、家庭が動かなければ、設備があっても使われない。
防災政治の難しさはここにある。公共事業として見えやすい堤防や道路だけでなく、住民の行動を変える地味な投資も続けなければならない。
ここがポイント: 防災予算の十分性は「総額が大きいか」ではなく、命を守る耐震化、避難、避難所、医療、物流が同じ地域でつながっているかで見るべきだ。
避難所整備は生活政策になった
能登半島地震以降、避難所の環境は政治課題としての重みを増した。避難所は一晩だけ身を寄せる場所ではなく、高齢者、障害者、子ども、持病のある人が数日から数週間を過ごす生活空間になる。
内閣府の交付金資料では、地域防災緊急整備型の対象として、次のような設備が挙げられている。
- トイレカー、トイレトレーラー、簡易トイレ
- キッチンカー、キッチンコンテナ、炊き出し用資機材
- テント式パーティション、簡易ベッド
- シャワーカー、水循環型シャワー、仮設入浴設備
これはぜいたく品ではない。トイレが不足すれば水分摂取を控える人が出る。床で寝続ければ体調を崩す。温かい食事が届かなければ、子どもや高齢者の体力が落ちる。避難所整備は、災害関連死を減らすための社会保障に近い。
誰が負担し、誰が受益者になるのか
防災予算は国費だけで完結しない。交付金には補助率や上限があり、自治体側の負担、保管場所、更新費、訓練費、人員確保が残る。
| 主体 | 主な負担 | 受ける利益 | 現実的な課題 |
|---|---|---|---|
| 国 | 交付金、公共事業、防災庁体制 | 広域被害の抑制、経済活動の維持 | 省庁横断の優先順位づけ |
| 自治体 | 備蓄、避難所運営、住民周知、訓練 | 住民の命と地域機能の維持 | 財源、人手、保管場所の不足 |
| 企業 | BCP、設備更新、物資協定、従業員保護 | 事業継続、地域からの信頼 | 中小企業ほど余力が小さい |
| 個人・家庭 | 家具固定、備蓄、保険、避難行動 | 初動の安全、避難生活の負担軽減 | 費用と手間が後回しになりやすい |
ここで重要なのは、公平性だ。財政力のある都市は備蓄や協定を進めやすいが、過疎地、半島、離島、中山間地域は輸送も保管も難しい。災害リスクが高い地域ほど行政資源が薄い場合、国の支援は「申請できる自治体に配る」だけでは足りない。
豪雨対策はインフラと土地利用の問題でもある
豪雨対策では、河川改修や排水ポンプ車の整備だけでなく、住宅をどこに建てるか、避難情報をどう伝えるか、要配慮者を誰が支えるかが問われる。
国土強靱化の第1次実施中期計画は、2026年度からの5年間でおおむね20兆円強を目途とし、防災インフラ、ライフライン、デジタル技術、官民連携、地域防災力を柱にしている。内訳の目安では、ライフラインの強靱化が約10.6兆円、防災インフラの整備・管理が約5.8兆円、地域防災力の強化が約1.8兆円とされる。
豪雨災害では、予算の使い道が特に難しい。
- 河川や下水道を強くするほど、工事費と維持費が増える
- 危険区域からの移転や住宅支援の見直しは、住民の生活設計に直結する
- 気象予測や避難情報を改善しても、避難先が弱ければ効果が落ちる
- 建設業の人手不足で、予算をつけても工事が進みにくい地域がある
防災を強めるほど、税金、地方債、公共料金、住宅費、保険料の形で負担は広がる。だからこそ、政治は「全部やる」と言うだけでなく、どの危険を先に下げるのかを説明しなければならない。
批判的に見るべき論点
防災予算の増額そのものは必要性が高い。だが、次の点は冷静に見る必要がある。
1. 交付金は現場力の差を広げる可能性がある
防災力強化総合交付金は、災害リスク評価、広域連携、避難生活環境の改善を支援する仕組みだ。方向性は妥当だが、計画を作り、申請し、業者や住民と調整する力は自治体ごとに違う。
小規模自治体では、防災担当者が他業務を兼ねることもある。国が制度を作っても、書類作成と調達だけで現場が疲弊すれば、備えは形だけになる。
2. 避難所設備は買って終わりではない
トイレカーや簡易ベッドは、保管、点検、燃料、運転者、設営訓練が必要だ。キッチンカーを導入しても、食材調達、衛生管理、アレルギー対応、停電時の運用が決まっていなければ使えない。
設備購入費よりも、維持管理費と訓練費を毎年どう確保するかが本番になる。
3. 世代間負担を避けて通れない
国土強靱化は、今の住民だけでなく将来世代の安全にも関わる。一方で、国債や地方債で進めれば、将来の納税者も負担する。
だから「将来の災害に備える投資」と「将来世代へ残す債務」のバランスを、個別事業ごとに検証する必要がある。命に直結する耐震化や避難路と、効果が見えにくい事業を同列には扱えない。
別の見方もある
防災予算には、増やすべきだという立場と、財政規律を重視すべきだという立場がある。どちらにも根拠はある。
増額を重視する側は、南海トラフや豪雨の被害を考えれば、事前投資のほうが復旧費や人的被害を小さくできると見る。道路、港、上下水道、避難所が壊れれば、地域経済も止まる。国益の観点でも、災害でサプライチェーンや物流が止まる損失は大きい。
慎重な側は、予算を積んでも効果が低い事業に流れれば、財政を悪化させるだけだと見る。人口減少地域でどこまでインフラを維持するのか、危険地域の居住をどこまで公費で支えるのかという問いも避けられない。
現実的には、両方を分けるべきだ。命を守る最低限の耐震化、避難、医療、トイレ、通信には厚く配る。そのうえで、地域ごとの将来人口、産業、交通網を見て、維持するインフラの範囲を決める。ここを曖昧にすると、防災の名で負担だけが広がる。
今後の注目点
これから見るべきは、予算額の増減だけではない。次の点が実際の防災力を左右する。
- 防災庁が省庁横断の司令塔として、平時からどこまで調整できるか
- 防災力強化総合交付金が、小規模自治体にも使いやすい制度になるか
- 避難所のトイレ、食事、ベッド、入浴、電源が訓練込みで整備されるか
- 南海トラフ対象地域で、住宅耐震化と津波避難がどこまで進むか
- 豪雨対策で、河川整備、下水道、土地利用、避難支援が一体になるか
- 国費、地方負担、企業負担、個人負担の線引きが説明されるか
防災政治で最も避けるべきなのは、災害のたびに「想定外」と言い、同じ弱点を補正予算で埋め続けることだ。
まとめ
災害対策予算は増えている。防災庁、防災力強化総合交付金、国土強靱化の中期計画を見る限り、政府が事前防災に軸足を置き始めたことは事実だ。
しかし、十分かどうかはまだ決まっていない。南海トラフ巨大地震の最大死者約29.8万人という想定、豪雨の頻発、避難所生活の長期化を考えれば、予算は「積む」だけでは足りない。地域ごとのリスクに合わせ、自治体が使える制度にし、維持管理と訓練まで財源を回す必要がある。
次に確認すべきは、令和8年度以降の各自治体の計画だ。トイレカーを買ったかではなく、誰が運び、誰が設営し、どの避難所で何人を支えるのか。そこまで見えたとき、防災予算は初めて生活を守る政策になる。
