老朽マンションを「私有財産の問題」で済ませられない理由――改正区分所有法で何が変わったか
老朽マンションが政治課題になるのは、一つの建物の管理不全が、所有者だけでは解決できず、住民の安全、近隣への危険、自治体の負担へ波及するからです。
2026年4月1日に施行された改正区分所有法は、所在不明の所有者を裁判所の手続で決議の母数から外し、修繕や建て替えを進めやすくしました。ただし、法律が合意形成を助けても、工事費や転居費を生み出してくれるわけではありません。最大の難題は、建物と居住者が同時に高齢化する中で、誰が再生費用を負担できるかです。
この記事で分かること
- 築40年以上のマンションが急増する規模
- 修繕、建て替え、売却で意思決定が止まる理由
- 2026年4月施行の改正法が変えた決議ルール
- 所有者、賃借人、自治体に残る負担と今後の課題
築40年以上は148万戸、建て替え実績は323件
老朽化の速度に対し、建て替えだけで処理できる件数は極めて限られています。
国土交通省によると、分譲マンションのストックは2024年末で約713万戸、推計居住者は約1,600万人です。このうち築40年以上は約148万戸。2034年末には約293万戸、2044年末には約483万戸へ増える見通しです。
一方、2025年3月末までに確認された建て替えは累計323件、約2万6,000戸にとどまります。マンションと敷地を売却した事例なども累計17件、約1,300戸です。
この差が示すのは、単純な「建て替え促進策」だけでは老朽ストックを処理できないという現実です。多くの建物では、まず修繕による長寿命化を図り、そのうえで次の選択肢を比べなければなりません。
- 大規模修繕を続けて使用する
- 耐震改修や設備更新を行う
- 躯体を残して一棟全体を更新する
- 建て替える
- 建物と敷地を売却する
- 建物を取り壊し、敷地を売却する
どの道を選ぶにも、多数の所有者による決議と資金が必要です。ここに戸建て住宅とは異なる難しさがあります。
なぜ住民だけでは決められないのか
同じ建物を共有していても、所有者の年齢、所得、居住目的、残りの居住期間が違うため、合理的な選択が一致しません。
建物と住民が同時に高齢化する
国土交通省の2023年度マンション総合調査では、1984年以前に完成したマンションで、世帯主が70歳以上の住戸は55.9%でした。
年金収入を中心に暮らす所有者にとって、数百万円単位になり得る追加負担や、住宅ローンを伴う建て替えは重い選択です。一方、若い世代や将来売却したい所有者は、資産価値を保つため早期の更新を求めることがあります。
賃貸に出している所有者、相続しただけで住んでいない所有者、投資目的の所有者もいます。居住環境を優先する人と、支出を抑えたい人では、同じ工事を見ても損得が異なります。
修繕積立金が計画に追いつかない
同調査で長期修繕計画と実際の積立状況を比較できた管理組合のうち、計画に対して積立金が不足しているマンションは36.6%でした。20%を超えて不足している割合だけでも11.7%です。
不足が明らかになれば、管理組合は主に次の方法を組み合わせます。
- 毎月の修繕積立金を引き上げる
- 一時金を各戸から徴収する
- 工事内容や実施時期を見直す
- 管理組合として融資を受ける
しかし、工事の先送りは建設費の上昇や劣化の進行を招くことがあります。値上げを避け続ければ、後の所有者が一段と大きな負担を背負う。これは世代間の負担配分でもあります。
所有者不明と無関心は別の問題
相続後に登記や連絡先の更新がされず、誰が権利を持つのか分からない住戸があると、決議通知や費用請求が難しくなります。
他方、所有者の所在が分かっていても総会に出席せず、議決権も行使しないケースがあります。所在不明者には法的な手当てが必要ですが、無関心な所有者には情報提供や参加しやすい仕組みが必要です。両者を同じ問題として扱うと、対策を誤ります。
ここがポイント: 老朽マンション問題の核心は、建物の寿命だけではありません。費用を負担する人、決議に参加する人、実際に住む人が一致しなくなることで、必要な修繕まで止まりやすくなることです。
2026年施行の改正区分所有法で変わったこと
改正法は「連絡のつかない一人」や「決議に参加しない人」が全体を止める場面を減らし、建て替え以外の出口も増やしました。
2025年5月に成立した「老朽化マンション等の管理及び再生の円滑化等を図るための建物の区分所有等に関する法律等の一部を改正する法律」の中核部分は、2026年4月1日に施行されました。
所在不明者を決議の母数から除外できる
必要な調査を尽くしても氏名や所在が分からない区分所有者について、裁判所の認定を受ければ、各種決議の母数から除外できるようになりました。
これは、所在不明者の持分を自動的に消す制度ではありません。管理組合などが調査を行い、裁判所の手続を経る必要があります。権利保護を残しながら、連絡不能の住戸が永久に意思決定を止めないようにする仕組みです。
また、所在不明者の専有部分について裁判所が管理人を選任する制度も設けられました。管理人は、裁判所の許可を得て住戸を売却でき、その代金は元の所有者のために供託されます。配管の腐食やごみの放置など、専有部分から建物全体へ被害が広がる場合にも重要です。
日常的な管理は「出席者」を基準に決めやすくなった
建て替えなど区分所有権の処分を伴う決議を除き、原則として出席者の多数決で決める仕組みになりました。議決権行使書や委任状による参加も出席に含まれます。特別決議には過半数の定足数があります。
大規模修繕を例にすると、総会に参加しない所有者を常に反対票と同じように扱う状態が緩和されます。ただし、少人数だけで重大事項を決めてよいという意味ではありません。招集通知、議案の説明、定足数の確認といった手続は、むしろ重要になります。
国土交通省も法改正に合わせてマンション標準管理規約を改定し、各管理組合に規約の見直しを求めています。法が変わっても、古い規約を放置すれば現場で混乱しかねません。
危険性がある建物は建て替え要件を緩和
建て替え決議は原則として区分所有者と議決権の各5分の4以上という枠を維持します。その一方、次のような客観的事由が認められる場合は、各4分の3以上へ引き下げられました。
- 耐震性が不足している
- 火災に対する安全性が不足している
- 外壁の剥落などで周囲に危害を及ぼすおそれがある
- 給排水管の腐食などで著しく衛生上有害となるおそれがある
- バリアフリー基準に適合していない
反対者の住まいと資産を大きく左右するため、単に「古い」「修繕費が高い」という理由だけで4分の3になるわけではありません。客観的な建物状態を確認する実務が、合意形成の前提になります。
売却、取壊し、一棟リノベーションも多数決で選べる
従来、建物と敷地の一括売却や取壊しなどには、原則として全員の同意が必要でした。改正後は、建て替えと同様の多数決により、次の手法を選べます。
- 建物と敷地の一括売却
- 建物を取り壊した後の敷地売却
- 建物の取壊し
- 躯体を残し、専有部分を含む建物全体を更新する一棟リノベーション
土地の市場価値、建物の構造、住民の資金力はマンションごとに異なります。出口を建て替え一本に絞らず、売却して分配金を受け取る道や、既存躯体を活用する道が制度化された意味は大きいでしょう。
それでも建て替えが急増するとは限らない
決議要件の緩和は拒否権の問題を小さくしますが、事業採算と生活再建の問題は残ります。
かつては、容積率に余裕があるマンションなら建て替え後に戸数を増やし、追加住戸の売却益で所有者の負担を抑える手法が使えました。しかし、すでに敷地を高密度に利用している建物では、売却できる床を十分に増やせません。
建設費が高く、土地価格が低い地域では、事業者が参画しても採算が合わない可能性があります。法律上は可決できても、各所有者に提示される負担額が大きければ合意は進みません。
賃借人にも生活上の影響が及ぶ
建て替えなどの決議後、一定の手続と金銭補償を前提に、賃貸借を終了させる制度も設けられました。請求から6か月が経過すると賃貸借を終了させる仕組みですが、賃借人は補償金の提供を受けるまで明渡しを拒めます。
これは再生事業を進めるための制度であると同時に、住み続けたい賃借人に転居を求める制度でもあります。補償額、代替住宅、高齢者や低所得者の転居先をどう確保するかは、決議要件とは別に検討しなければなりません。
高齢所有者には「賛成したくても払えない」問題がある
建て替えに賛成でも、追加負担や仮住まいの費用を用意できない所有者はいます。融資を受けにくい高齢者にとっては、資産価値があっても手元資金がないことが障壁になります。
選択肢を実効的にするには、売却して退去する人への分配、融資、リバースモーゲージの活用、仮住まい支援などを個別に組み合わせる必要があります。多数決だけを緩めれば、少数者の生活再建が自動的に整うわけではありません。
私有財産に行政が関与する根拠と限界
行政が介入する根拠は、管理不全の被害が敷地内にとどまらないことにあります。
外壁が剥落すれば通行人や隣家が危険にさらされます。給排水設備の不具合や衛生状態の悪化は、他の住戸へ広がります。空室化と管理組合の機能不全が進み、最終的に行政代執行が必要になれば、自治体には調査、法的手続、工事、費用回収という負担が生じます。
改正マンション関係法は、危険な状態にあるマンションについて、自治体による報告徴収、立入検査、助言・指導、勧告などを強化しました。必要な場合には固定資産税情報などの内部情報を利用でき、正当な理由なく勧告に従わないときは公表できる仕組みも整えています。
ただし、自治体が民間マンションの修繕費を全面的に負担する制度にすれば、適切に積み立ててきた所有者や、戸建て・賃貸住宅に住む納税者との公平性が問題になります。
公費を使うなら、対象と目的を絞る必要があります。
- 耐震診断や劣化調査への支援
- 管理組合の立て直しや専門家派遣
- 所有者調査と合意形成の支援
- 危険除去など周辺住民を守るための措置
- 高齢者や低所得者の居住継続・転居支援
建物所有者の資産形成まで公費で肩代わりするのか、それとも周辺への危険防止と住宅セーフティネットに限定するのか。ここが政策上の境界線です。
修繕優先か、早期再生か――対立する見方
現実的な政策は、長寿命化と早期撤退を建物ごとに使い分ける必要があります。
修繕を優先する立場
多くのマンションを建て替えるには、費用、人手、資材、仮住まいが足りません。適切な修繕によって安全に使える建物まで取り壊せば、所有者の負担だけでなく、建設廃棄物や資源消費も増えます。
この立場からは、長期修繕計画を定期的に見直し、積立額を早めに調整し、劣化が軽いうちに対応することが基本になります。
早期の再生・売却を重視する立場
修繕を重ねても、耐震性、配管、断熱、バリアフリーなどを総合的に改善できない建物があります。資金不足のまま部分補修を続ければ、最後には売却も難しい危険な建物を残すおそれがあります。
この立場では、資産価値と管理能力が残っている段階で、建て替え、一棟リノベーション、売却を比較すべきだと考えます。
判断を分ける軸
二つの立場は、どちらかが常に正しいわけではありません。管理組合が確認すべきなのは次の点です。
- 構造安全性と設備の劣化状況
- 今後30年程度の修繕費と再生費の比較
- 現在の積立金と追加負担可能額
- 土地価格、容積率、事業者の参画可能性
- 所有者の年齢構成、賃貸化、空室化
- 建て替え・売却時の転居先と補償
結論を先送りする場合にも、「何年後に、どの数値を基準に再判断するか」を決めておく必要があります。
所有者と行政が今確認すべきこと
改正法の実効性は、総会の票数より前に、連絡先、規約、建物状態、資金を整えられるかで決まります。
管理組合には、次の実務が急がれます。
- 改正法と標準管理規約を踏まえ、現在の管理規約を点検する
- 区分所有者名簿と居住者名簿、国内外の連絡先を更新する
- 長期修繕計画を最新の工事費で見直す
- 修繕、耐震改修、一棟リノベーション、建て替え、売却の費用を比較する
- 反対・棄権の理由を、費用、転居、相続、賃貸などに分けて把握する
- 必要に応じてマンション管理士、建築士、弁護士などを早期に入れる
購入を検討する人も、築年数や販売価格だけで判断すべきではありません。総会議事録、長期修繕計画、修繕積立金残高、滞納状況、直近の値上げ予定、管理計画認定の有無を確認すれば、将来負担の輪郭が見えます。
自治体側では、危険になってから代執行を検討するより、管理組合が機能しているうちに専門家へつなぐ方が費用を抑えやすいはずです。ただし、マンション政策を担当する人員や専門知識には地域差があります。国土交通省資料によると、マンションストックの約8割を抱える177自治体のうち、専任担当者を置く割合は約18%でした。権限を増やすだけでなく、執行体制をどう確保するかが残ります。
まとめ――多数決の改革から、費用と生活再建の設計へ
老朽マンションは、住宅政策、私有財産のルール、防災、福祉、地方財政が交差する政治課題です。
事実として、築40年以上のマンションは今後20年で約3.3倍に増える見込みです。改正区分所有法は、所在不明者や不参加者によって修繕・再生が止まる問題に手を入れ、売却や一棟リノベーションも選びやすくしました。
しかし、次に問われるのは決議の可否ではありません。
- 高騰する工事費を誰が負担するのか
- 高齢所有者や賃借人の転居をどう支えるのか
- 修繕を続ける建物と、早期に再生・売却すべき建物をどう見分けるのか
- 専門人材の少ない自治体が新しい権限を使いこなせるのか
所有者にとって最も危険なのは、建物が目に見えて危険になるまで判断を遅らせることです。次の大規模修繕だけでなく、その先の30年に必要な総額と、撤退を含む選択肢を総会で数字にすることが、改正法施行後の具体的な第一歩になります。
