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海上保安庁を強くする本当の理由――尖閣、密漁、海洋秩序を「法執行」で守る

離島周辺の海域を警戒航行する海上保安庁の巡視船。

海上保安庁を強くする本当の理由――尖閣、密漁、海洋秩序を「法執行」で守る

海上保安庁の強化が重要なのは、単に船を増やすためではない。武力衝突に至らない圧力に法執行機関として対応し、日本の漁船、資源、航路、領海を日常的に守り続けるためである。

尖閣諸島周辺では中国海警局所属船の活動が常態化し、全国では密漁も高水準で続く。必要なのは大型巡視船だけではなく、航空監視、情報分析、証拠収集、乗組員、整備拠点、関係機関との連携を一体で強くすることだ。

この記事で分かること

  • 尖閣警備で海上保安庁が担っている役割
  • 密漁が漁業者だけの問題ではない理由
  • 令和8年度予算2,971億円で何を強化するのか
  • 海上自衛隊との違いと、連携の境界線
  • 装備増強だけでは解決しない人員・維持費の課題
目次

尖閣周辺では「何も起きていない状態」を守り続けている

尖閣警備の核心は、法執行を途切れさせず、危機を武力衝突へ進ませないことにある。

海上保安庁の海上保安レポート2025によると、2024年に尖閣諸島周辺の接続水域で中国海警局所属船が確認された日数は355日で、過去最多だった。2023年12月22日から2024年7月23日までの連続確認日数も、過去最長の215日に達した。

さらに、2025年3月の領海侵入では、侵入時間が過去最長の92時間8分となった。中国海警局所属船は大型化・武装化が進み、日本漁船に近づこうとする事案も続く。2024年には、そのような事案が18件確認されている。

これは、派手な衝突が断続的に起きているという話ではない。海上保安庁が巡視船を常時配置し、次の行動を積み重ねているという話だ。

  • 中国海警局所属船の動きを監視する
  • 領海侵入時に退去を要求し、必要な進路規制を行う
  • 日本漁船の周囲に巡視船を配置して安全を確保する
  • 映像、通信記録、航跡などを残し、日本の対応の正当性を示す
  • 外務省、防衛省などと情報を共有する

海上保安庁の活動が成功した日ほど、ニュースになる出来事は少ない。しかし、その「何も起きなかった一日」を365日積み重ねるには、複数の船と航空機、交代要員、燃料、整備、通信が必要になる。

領海と接続水域は同じではない

議論を正確にするには、海域ごとの法的な違いも押さえたい。

  • 領海:沿岸国の主権が及ぶ海域。外国船には国際法上の無害通航が認められるが、沿岸国の平和、秩序、安全を害する活動は許されない
  • 接続水域:領海の外側に設定され、沿岸国が通関、財政、出入国管理、衛生に関する法令違反の防止などに必要な措置を取れる海域
  • 排他的経済水域(EEZ):沿岸国が水産資源や海底資源の探査・開発などについて主権的権利を持つ海域。領海のような全面的主権が及ぶわけではない

したがって、接続水域に中国海警局所属船がいることと、領海へ侵入することは法的に同じではない。一方、ほぼ毎日の活動が既成事実として積み重なれば、現場の監視負担は重くなり、日本漁船の操業にも圧力がかかる。

ここで重要なのが、冷静さと継続性である。相手の船がいるだけで直ちに実力行使へ進めば、緊張を制御できない。逆に、監視や退去要求が途切れれば、日本が実効的に管理しているという現実が弱く見える。

ここがポイント: 海上保安庁の役割は「戦うこと」ではなく、法に基づく警備を切れ目なく続け、現場の主導権と危機管理の余地を失わないことにある。

密漁対策は食料、地域経済、法の公平性を守る仕事だ

密漁の取締りは、水産物の窃盗を防ぐだけでなく、資源管理の仕組み全体を成立させる。

海上保安庁が2026年1月に公表した2025年の海上犯罪取締り状況(速報値)では、漁業関係法令違反の送致件数は2,840件。前年より186件増え、4年連続で2,500件を超えた。

違反には、漁業者ではない人による無許可採捕から、買受業者と結び付いた組織的な密漁、外国漁船による違法操業まで幅がある。2025年には、中国人が日本漁船を使用したサンゴ密漁事件も摘発された。

正規の漁業者が受ける三つの損失

密漁を放置すると、規則を守る漁業者ほど不利になる。

  • 漁獲の損失:アワビ、ナマコ、サンゴなど成長や回復に時間がかかる資源が持ち去られる
  • 価格の損失:違法に得た水産物が流通すれば、正規品の市場と信頼が損なわれる
  • 管理への不信:漁期、漁具、漁獲量の制限を守っても密漁が横行すれば、資源管理に協力する動機が弱くなる

沿岸の漁村では、水産資源が仕事と地域生活を直接支えている。資源量が減れば、漁業者の所得だけでなく、水産加工、運送、卸売、飲食、自治体の税収にも影響が広がる。

つまり密漁対策は、食料安全保障を抽象的に唱える政策ではない。夜間監視を行い、船を止め、採捕物や器具を確認し、裁判に耐える証拠を集める実務である。

尖閣警備と密漁対策は同じではないが、基盤を共有する

中国海警局所属船への対応と密漁取締りは、法的性質も対象も異なる。両者を一括して敵対行為と扱うべきではない。

ただし、必要となる基盤には共通点が多い。

  • 広い海域の異変を早期に見つける航空・衛星監視
  • 船種、国籍、航跡、過去の行動を分析する情報基盤
  • 現場へ長時間とどまれる巡視船
  • 夜間や荒天でも使える撮影・採証装備
  • 水産庁、警察、自治体、漁業団体との情報共有
  • 取締りと救難を安全に行える海上保安官

海洋秩序は、領海警備だけでできているのではない。漁業規則、航行安全、捜査、救難、海洋調査を日々執行して初めて、海のルールは現実のものになる。

令和8年度予算2,971億円は何に使われるのか

予算の重点は、巡視船の増強と広域監視を、人員・基地・通信まで含めて機能させることにある。

令和8年度海上保安庁関係予算概要によると、2026年度の予算総額は2,971億円。前年度の2,791億円から180億円、率にして約6%増えた。内訳は物件費1,771億円、人件費1,200億円である。

海上保安能力の強化には1,499.3億円が配分され、主な項目は次の通りだ。

  • 高次的な尖閣領海警備能力:223.8億円
  • 新技術を使った広域海洋監視能力:240.3億円
  • 大規模・重大事案への対処能力:25.3億円
  • 国内外の関係機関との連携・支援能力:69.2億円
  • 海洋調査能力:23.7億円
  • 人材、基地、情報通信など強固な業務基盤:917.0億円

大型巡視船は「数」だけでは評価できない

尖閣警備では、新たな大型巡視船2隻への着手や、建造中の大型巡視船7隻などが示された。大型船は長期間行動でき、荒天への対応力も高い。相手船が大型化するなかで、現場の安全を確保する意味もある。

しかし、就役年度を見ると、新規の大型巡視船2隻は2030年度の予定だ。船は予算が付いた翌日に現場へ出られる装備ではない。設計、建造、試験、乗組員訓練を経る必要があり、造船所の能力にも左右される。

政策を評価するときは、予算額だけでなく、次を確認しなければならない。

  • 何隻が新規契約され、何隻が実際に就役したか
  • 老朽船の退役を差し引いた純増がどれだけあるか
  • 乗組員と整備要員を確保できたか
  • 燃料や修繕費が運用日数に見合っているか
  • 尖閣以外の海域から船を過度に転用していないか

無人航空機とAIは、巡視船の代用品ではない

2026年度予算では、無操縦者航空機の運用に111.2億円、中型ジェット機1機の整備に34.3億円が盛り込まれた。衛星やAIを使う情報分析も強化対象になっている。

これは広い海を効率よく見るうえで合理的だ。航空機や衛星が不審な動きを先に捉えれば、巡視船を必要な海域へ向かわせやすくなる。限られた船を闇雲に巡回させるより、情報に基づいて配置した方がよい。

ただし、監視と法執行は別の工程である。無人航空機が船を発見しても、立入検査、退去要求、遭難者の救助、証拠物の押収はできない。センサーで見つけ、有人の船と航空機が対応し、陸上の分析・捜査部門が支えるという組み合わせが必要だ。

最大の制約は人員と運用の持続性にある

船を建造しても、動かす人と直す人が足りなければ海上保安能力は増えない。

2026年度は222人の増員が認められた一方、定員合理化などによる155人の減員があり、定員は前年度より67人増の1万4,956人となる。増員のうち、尖閣領海警備に87人、国内外の連携・支援に64人、業務基盤に43人などが充てられる。

純増67人を「少ない」と即断するだけでは不十分だが、任務と装備が増える速度に人材が追いついているかは厳しく見る必要がある。大型巡視船は一度配備すれば終わりではない。複数の当直、休養、研修、異動を含む継続的な人員配置が要る。

人材確保で見るべき現場

  • 長期間の航海や夜間勤務に耐えられる勤務環境か
  • 船艇職員、航空要員、整備士、通信・サイバー人材を確保できるか
  • 経験を積んだ中堅職員が離職せず、技能を若手へ渡せるか
  • 女性職員を含む多様な人材が勤務できる船内・基地環境か
  • 新装備の教育訓練が通常任務を圧迫していないか

2026年度予算には、人的基盤の強化・業務効率化として17.8億円、基地整備として57.4億円、情報通信システムの強靱化として18.3億円が計上された。船体ほど目立たないが、実働能力を左右する項目である。

維持費も避けて通れない。船が増えれば、燃料、部品、ドック、航空機の整備、基地の光熱費まで恒常的に増える。建造費を補正予算で確保できても、毎年の運航費が不足すれば稼働率は落ちる。

海上自衛隊を増やせば代替できるのか

海上保安庁と海上自衛隊は、装備の外見が似ていても任務と法的権限が違うため、単純には代替できない。

海上保安庁法は、海上保安庁を国土交通大臣が管理する法執行機関と位置付ける。海難救助、犯罪捜査、船舶交通の規制、海洋汚染防止などが任務であり、同法25条は、海上保安庁や職員が軍隊として組織・訓練され、その機能を営むものと解釈してはならないと定めている。

一方、自衛隊の中心任務は、日本の平和と独立を守り、武力攻撃から国を防衛することだ。

平時から武力攻撃に至らない段階では、警察機関である海上保安庁が前面に立つ意味が大きい。

  • 国内法と国際法に基づく法執行として対応できる
  • 違反の警告、立入検査、捜査、逮捕を一連の手続として行える
  • 軍同士の直接対峙を避け、事態の急激なエスカレーションを抑えられる
  • 日本がルールに基づき対応していることを対外的に説明しやすい

それでも自衛隊との連携は欠かせない

役割が違うからといって、両機関を切り離すべきではない。衛星・航空情報の共有、通信の接続、施設の相互利用、共同訓練は必要になる。

2023年には、武力攻撃事態で海上保安庁を防衛大臣の統制下に置く場合の統制要領が策定された。ただし、統制下でも海上保安庁の任務、権限、非軍事性は変わらず、自衛隊への編入を意味しない。想定されている主な役割は、住民避難、船舶への情報提供、人命保護などである。

この境界線は弱点ではない。平時の法執行から重大事態の国民保護、武力攻撃への防衛まで、それぞれの機関が法に基づいて役割を移すための仕組みだ。

課題は、紙の上の分担を実際の海で機能させることである。通信手段、指揮系統、情報の機密区分、住民避難に使う港、民間船舶との調整まで訓練しておく必要がある。

強化に対する反論と、現実的な答え

海上保安庁の強化には必要性がある一方、予算効率、緊張管理、全国業務との均衡を検証し続けなければならない。

「増強が相手を刺激する」という懸念

巡視船の増強が緊張を高めるという見方はある。特に、装備の大型化だけが先行し、対話や危機管理の回線が弱ければ、接近時の判断ミスが事故につながる可能性は否定できない。

ただし、相手船が大型化・武装化し、活動が常態化している状況で、対応能力を落とすことも安定にはつながらない。日本漁船を守れず、警備の空白が生じれば、現場でより危険な既成事実が積み上がる。

現実的な答えは、能力を整えながら運用を抑制的に保つことだ。

  • 無線連絡や外交ルートを維持する
  • 国際法と国内法に沿った警告・規制を徹底する
  • 映像や航跡を記録し、事実を透明に公表する
  • 偶発的衝突を避ける現場手順を訓練する
  • 警備能力と外交的な危機管理を同時に強化する

「尖閣へ予算が偏りすぎる」という懸念

海上保安庁は尖閣だけを守る組織ではない。海難救助、災害対応、密輸・密航対策、航路標識、海洋調査、海洋汚染への対応も担う。

尖閣への集中によって、北海道、日本海、太平洋の離島、都市部の港湾で巡視船が不足すれば、全国の安全は弱くなる。2026年度予算で「強固な業務基盤」に917億円が充てられたことは重要だが、実際の配備と稼働率を地域別に確認する必要がある。

尖閣警備用の装備が、災害救助や多数の外国漁船への対応にも使える設計であれば、投資の効果は広がる。逆に任務を限定しすぎれば、平時の稼働効率が落ちる可能性がある。

「もっと無人化すべきだ」という主張

無人化は監視範囲を広げ、人員負担を抑える有力な手段だ。ただし、通信妨害、悪天候、機体故障、サイバー攻撃への備えが必要になる。AIによる船舶判別にも誤認はあり得るため、最終的な法執行判断を自動化するのは適切ではない。

無人機の導入効果は、飛行時間の長さではなく、発見から現場対応までの時間がどれだけ短くなったかで測るべきだ。

国民生活との接点は海の外にもある

海上保安能力は、漁業者や離島住民だけでなく、物流と食料を利用する全国の生活者に関わる。

日本は原油、液化天然ガス、食料、工業原料など多くの物資を海上輸送に頼る。海上保安庁は遠方海域の領海警備だけでなく、港への出入り、航路標識、海難事故、危険物運搬船の安全も支えている。

海上の法秩序が弱まった場合の影響は、次のように陸上へ届く。

  • 水産資源の減少や流通不安が魚価と地域雇用に響く
  • 航路の安全低下が物流の遅延や保険料上昇を招く
  • 離島周辺での警備負担が住民避難や行政サービスの計画に影響する
  • 災害時に巡視船や航空機が不足すれば、救助と物資輸送が遅れる
  • 海洋調査能力が弱まれば、海底地形や海洋権益を裏付けるデータが不足する

だからこそ、海上保安庁予算を「防衛費に近いもの」とだけ見るのは狭い。治安、交通、資源管理、救難、外交を接続する公共インフラへの支出でもある。

今後は「保有数」より実働能力を確認すべきだ

強化策の成否は、予算額や進水式ではなく、必要な海域へ何時間で到着し、何日間活動を続けられるかで決まる。

今後の公表資料では、次の点を追いたい。

  • 尖閣周辺における接続水域での確認日数、領海侵入の件数・時間
  • 日本漁船への接近事案と、乗組員の安全確保の結果
  • 国内外の密漁事犯の送致件数、手口、再犯防止
  • 新造巡視船・航空機の就役時期と老朽装備の退役状況
  • 無人航空機による発見が、巡視船の対応時間短縮につながったか
  • 海上保安官の採用、離職、乗組員充足、休養、教育訓練の状況
  • 船艇・航空機の稼働率、修繕期間、運航費の確保
  • 海上自衛隊、警察、水産庁、自治体との共同訓練で判明した課題

海上保安庁の強化は必要だ。ただし、「大型船を増やしたから安心」という政策では足りない。

事態を見つける目、現場へ着く足、法を執行する人、証拠を残す技術、長期運用を支える基地。そして、危機を戦争へ進ませない判断。この一式がそろって初めて、日本は尖閣、漁業資源、海上交通を法の下で守り続けられる。

次に見るべき数字は予算総額だけではない。新しい船が就役した日に、十分な乗組員と燃料を載せ、他海域に穴を開けず出航できるか。そこが海上保安庁強化の実力を測る分岐点になる。

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